8月8日、9日の2日間、「造士館講座夏期集中講座」として4本の講座を実施しました。講師の先生方、参加いただいた皆様に敬意を表しつつ、講座の内容をご報告いたします。
2026年8月8日(土)
岩元みさ(いわもとみさ)先生(走る冒険家)
テーマ「自分を生きるということ」

「Ponちゃん」と呼んでくださいで始まった。鹿児島生まれの鹿児島育ち。様々な仕事や活動、色々な顔を持つが、全て自分。2018年サハラ砂漠マラソン(237㎞)、イランシルクロードウルトラマラソン(230㎞)、2019年ナミビア砂漠ナミブレース(251㎞)、南アフリカ共和国コムラッズマラソン(89㎞、制限時間オーバー)、2021年世界自然遺産奄美トレイル(約550㎞、以降3年にわたり走破)、2023年モンゴルゴビ砂漠ゴビマーチ(250㎞)、2024年南極マラソン(154.2㎞)、2025年日本縦断(2724㎞、108日)
自分の体験、走っているときの感情等を話す。昨年、北海道から鹿児島まで走って日本縦断。7/17~10/26、宿泊は、すべて出会った人の家、食事等もいただき、経費は4955円。テーマは「他人にお世話になり倒す」「参勤交代のルートを行く(現在、使われていない道も)」「公共交通機関は使わず自分の足で」。一番の心配は熊、北海道で新聞配達員がクマに襲われた日の8時間後に、その場所を通る計画。ご好意で車の伴走をいただいた。福島県で「お互い様チケット」、「ありがとう」を他の人へつなぐ「恩送り」を学んだ。心がけていたことが7つ、「挨拶は自分から、靴を揃える、ありがとう探しをする、お礼は相手より先に心を込めて、速さと丁寧さで感謝を伝える、まっ直ぐに誠実に、人が笑顔になる自分を考え行動する」。
自己紹介の動画。「行動と言葉で人を元気にする」生き方をしたい、そのため思いっきり、失敗してもチャレンジ。数々のエピソードを紹介。「思い立ったときにすぐ行動、転んでも転んでも立ち上がる、それが強さ」。数々の装備品紹介、冒険は無鉄砲と違う。そこには万全の準備と工夫が。今年6月、ペルーのアマゾンジャングルマラソンにチャレンジ、スタート前日の不安と怖さ、決意を告白したビデオ紹介、強さと弱さの一切をひっくるめて、これが岩元みさ。南アフリカ、昼間の大通りで男にナイフを向けられた。大使館からはお金お金を渡すようにと言われていたが、振り向いて「私は日本人。あなたと友達になりたい」と。頑張ってやり取り、男がナイフを下して「ソーリー」。私は走って逃げたかったが「なぜ、こんなことを」と尋ねた。「子どもが二人、お金も仕事もなくて」と。一緒に市場に買い物に、友達として一つプレゼントを。彼が選んだのは赤ちゃん用のおむつ。情報氾濫の時代、「判断は他人任せでなく、自分を中心に置いて」が私の信条。来年は台湾一周チャレンジを。
2026年8月8日(土)
小山佳一(こやまけいいち)先生
(鹿児島大学大学院理工学研究科長)
テーマ「クレーンゲームで学ぶ物理学」

クレーンゲーム推奨ではない、大抵店側がもうかる、とすればどうやって楽しむかを考えるべき。内容は「1.自己紹介 2.クレーンゲームの基本と物理学 3.クレーンゲームは地球上のゲーム=重力を使う 4.景品の重心が重要 5.ブレイク:私とゲーセンとの攻防 6.摩擦力と転倒 7.ガリレオの振り子の等時性 8.ブレイク:クレーンゲーム教授のなるまで 9.景品の重心の移動 10.まとめ」。専門は磁気物理学、磁場応用。「遊びから科学を伝える物理学者」を自称、理念は「クレーンゲームの新しい価値を作り出したい」、クレーンゲーム歴35年以上→物理は使うもの。クレーンゲームでテレビ出演。物理学の視点で楽しく。今年、テレビ局から「クレーンゲーム界のガリレオ」の名前を。
UFOメカの力を使って景品を落とし口まで変位させる(運ぶ)ゲーム、効率的に物理的仕事をするゲーム。UFOキャッチャーは三種類(2本アーム、3本プラスチックアーム、3本金属製アーム)。アームが景品を持つ力は内部のバネの力。アームは開いた方が力が強い。物理の原理をもとに作られた装置。分解すると中にコイル。電磁石にするためコイルに電流を流す。磁力が発生し「鉄しん」が引き込まれ、てこの原理でアームが閉じる。電磁石は小5の理科、てこの原理は小6の理科。クレーンゲームは重力があるから楽しめる。吊り上げた景品が落ちるのは重力のため。店側はそれを邪魔する。アームの力で重力のポテンシャル山谷を乗り越えて落とし口へ。景品の重心が重要。重心は必ず支点の真下。重心を見つければアームで持ち上げられる。重心を見極めることが大切。
まとめとして「1.直交座標、変位→景品を落とし口に変位(仕事)させるゲーム。2.アームの力はバネの弾性力、コイルの磁気力、てこの原理。3.仕事=力×変位、重力ポテンシャル、フックの法則(バネの弾性力)。4.景品の重心の見極めが重要。5.景品の動きは重心の並進運動と重心周りの回転運動。6.力の合成・分解、慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則。7.摩擦力(最大摩擦力>動摩擦力)。摩擦力→滑るか転倒するか(回転するかしないか)。9.景品の重心が支点(回転軸)を越えれば転倒。10.景品の重心が落とし口に来たらゲット。11.振り子、振り子の等時性。」。小中高の理科はただの試験合格のための勉強ではなく、身の回りの自然を学び、応用する基礎になっている。それを意識するだけで楽しくなる。
2026年8月9日(日)
新福大健(しんぷくだいけん)先生
(黎明館主任学芸専門員)
テーマ「調所広郷の改革と薩摩藩の近代化」

調所は茶道方で出仕。当初、財政改革主任、のち家老に。行政改革や軍事改革も。晩年、幕府に召喚直後急死(自殺?)、斉彬の書状に「笑吐血のこと」。背景に斉彬の代替わりを巡る争い。調所家は、大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)の職員、広郷の家は調所家の二男家、広郷は川崎家から養子に、養子先が藩の茶道方。当初は重豪付、斉宣付を経て斉興付の茶坊主。重豪付のとき、江戸に出て茶道等を学ぶ、諸芸道にも入門し人脈を築く。文化10(1812)小納戸(藩主の側近)、2年後に小納戸頭取。文政4(1822)町奉行、市井の実態を学ぶ。2年後に側用人格両隠居続料掛(重豪と斉宣の経費担当)。
調所登用前の薩摩藩の財政状況。文政年間末の年収13万両程度、負債は500万両。薩摩藩は籾高77万石(玄米では40万石足らず)に見合った御手伝普請、重豪以来の諸家との交際、文化政策等に起因。大隠居の重豪が調所広郷を財政改革主任に任命、指示は、①藩債の解決、②250万両の工事費の準備、③50万両の予備費の準備、改革の最終時期1848年頃。大阪商人濱村孫兵衛が、250年払いと産物での財政再建を進言。当座の財政運営は商人からの資金援助で。改革のポイント〇藩債500万両の元本250年払い。「薩摩藩は借金を踏み倒した」説、明治4年に廃藩置県(薩摩藩消滅)、天保の改革で幕府が棄捐令(1843、借金の破棄)。〇商人・百姓の利益も考慮。・大阪商人を馬廻格や新番格などの役職に登用、砂糖代銀掛屋や米代銀掛屋として藩産物を扱わせ、利益を得させる。・藩産物の品質向上、大阪市場での薩摩藩産米の評価向上、種々の改革で生産の増加と品質向上に努めた。・黒糖の専売制度再開、本土での税収確保。本土でも検見法から定免法へ、年貢確保。〇民生の安定。・年貢の徴収改革、・曾木川改修で舟運を開く、・五石橋の建設等治水事業、・骨粉肥料の安価配布で生産量増加。〇藩が産業振興に支出(塩田開発等)。〇琉球産物の販売(幕府の許可以上の輸入)。
財政改革から藩体制の改革へ(・1829年側用人として財政改革主任。・1839年家老として藩政全体を指揮、改革の組織体制確立。各部門の責任者に町人も登用)。〇給地高改正(藩が与えた土地の所有者の確定)により軍役に対応できる武士の増加、軍事力の確保。〇欧米列強への対応、モリソン号事件を機に西洋式砲術を導入。そのほかガラス製造の開始等。結果として多額の蓄積、それが斉彬の集成館事業の基盤(財源)に。
2026年8月9日(日)
福元啓介(ふくもとけいすけ)先生
(尚古集成館学芸員)
テーマ「他国人が見た近世の鹿児島」

近世(江戸時代)は、庶民層までが全国各地を旅行。薩摩藩は閉鎖的なイメージがあるが、他国人の往来がしばしばなされた。京都の医者・橘南谿の『西遊記』は薩摩藩の領内を紹介。1783年に薩摩を訪れた岡山の地理学者・古川古松軒も『西遊雑記』に薩摩藩領内の様子を記述。彼らが訪れた18世紀後半は島津重豪による開化政策で薩摩が開放的な時代。『西遊雑記』には、関所を通るには金子三歩ばかりの「見せ金」(病気、病死の折の費用)が必要、往来証文を確認のうえ「ゆるし切手」(移動許可証)が必要。町には「旅人宿」。「薩州一見の志しあらん人は、修行者の体よろし」「薩摩武士の気風は、かつての鎌倉武士のようで悪くない」「長い刀に脛まで見える短い袴をはいて、話す言葉も方言で理解しがたい」と。
『鹿児島ぶり』は、江戸の講釈師の伊東凌舎が、江戸から帰国する26代当主島津斉宣に随行して鹿児島を訪れ、1835年から翌年にかけて滞在した見聞記。江戸っ子ならではの視点や軽妙な語り口、挿絵も豊富。10月29日に出水宿泊、11月2日に鹿児島着。翌3日、清水町稲荷神社の祭礼で流鏑馬見学。斉彬をはじめ一門の桟敷、群衆の中に琉球人の姿も、しかし薩摩人は江戸っ子の凌舎らを珍しがった。重豪の開放的な都市政策、城下町繁栄のため、1772・73年、他国商人の出入自由、鹿児島への移住許可、領内町人の他国出入緩和、他国者の領内出入自由。藩校造士館・演武館・天文観測施設の明時館(天文館)を城下に創設。
年末・年始の年中行事の記事も多い。江戸との違いや共通点を詳述、正月の売り物の伏見人形、びいどろのぽかんぽかん、凧は粗末、女の子のまりをつく姿は好ましい。重豪の御代に、風紀取締りの厳しい仰、兵子の衆(若い武士)の髪型や風俗を改めさせた(容貌検分)。薩摩は物資豊富、地元生産で充足。生産できないのは羽二重・ちりめん・数の子・昆布くらい。薩摩にないものは一向宗と遊女屋くらい。江戸時代後期の薩摩ことば紹介、何程(ドシコ)、こども(チゴ)、老父(オンジャウ)、女房(ヲカタ)、お頼み申す(タノンアゲモス)、すぐにする(イッキスル)等。5月29日、谷山港出発(道中の様子、境目境目に其所の郷士歓迎に出る)、6月3日~5日、枕崎→知覧→頴娃(開聞宮参詣)→山川→指宿、7月23日、鹿児島出発(吉野坂を通過、白銀坂を下る、薩摩の箱根と云、御領国第一の難所なり)。7月24日、加治木→国分→日向山→踊、26日、高千穂山頂から下山(明礬湯)、29日、栄之尾発、道に迷いつつ国分へ。7月晦日、国分→加治木→鹿児島着。
