8月夏期集中講座レポート

8月3日、4日の2日間、「造士館講座夏期集中講座」として4本の講座を実施しました。講師の先生方、参加いただいた皆様に敬意を表しつつ、講座の内容をご報告いたします。

2024年8月3日(土) 
山本敬生 先生
(鹿児島県立短期大学准教授)
テーマ「選挙とは何か―インターネット選挙の可能性から考える―」

 

   

今回の講演がインターネット選挙の可能性を考えるきっかけになればとのこと。以下、準備された資料から抜粋する。

1.なぜ、投票率はいのか。その理由は(1)政治の劣化(政治的芸能人)(2)メディアが政治家を代行。(3)政治家との距離(市民と交流しない)。2.選挙改革の必要性として、(1)強制投票制度の導入(憲法違反であれば、白紙投票を)(2)インターネット選挙。3.インターネット選挙とは、インターネットを活用した選挙運動を認める選挙。平成25年に改正公職選挙法成立。候補者・政党などはウェブサイト等、電子メール利用の選挙運動。4.改正公職選挙法における禁止行為は、(1)有権者による電子メールを使用した選挙運動(2)未成年の選挙運動(3)HP・電子メール等を印刷して頒布する行為(4)期間外の選挙運動(5)候補者に関する虚偽事項の公開(6)偽りの氏名等による通信(7)悪質な誹謗中傷行為(8)候補者等のウェブサイトの改ざん。5.インターネット選挙のメリットは、(1)クリーンな選挙の実現、金権腐敗選挙の防止(2)マニフェスト選挙の推進、政策中心の選挙(3)候補者と有権者の直接コミュニケーションの促進(4)無名の候補者の当選の可能性(5)若者が政治に興味を持つ(6)既存のメディアでは入手できない情報の収集が可能(7)エコな選挙活動の実現。6.インターネット選挙のデメリットは、(1)候補者のなりすましの可能性(2)中傷合戦の激化(3)インターネット選挙の完全な規制は難しい(4)規制強化が表現の自由の侵害。7.インターネット選挙で選挙が変わるかについて、(1)高齢者は利用しない、候補者と有権者が握手しなければ票につながらない。(2)都知事選では石丸旋風が起きた。(3)インターネットは劇的に選挙を変える。(お金をかけずに魅力的な選挙運動ができる)(4)選挙を楽しむ(5)クリーンな選挙の実現(新聞・テレビは見ないがインターネットを見ている有権者が増加。当選した議員は既得権や利権・しがらみと無縁、政治改革が期待できる)。

総括として、石丸伸二さんは、東京都知事選において、ネット選対を立ち上げて大善戦した。かつて山田太郎さんは「ネットどぶ板選挙」という選挙手法を使用して、参議院議員に当選した。近い将来インターネット選挙により、選挙は劇的に変わる。

 

2024年8月3日(土) 
島津義秀 先生
(精矛神社宮司・加治木島津家当主)
テーマ「薩摩琵琶と郷中教育について」

 

薩摩琵琶を演奏したり大学で教えたりしている。薩摩琵琶の背景には郷中教育がある。鹿児島の九つの「学舎(がくしゃ)」の元になったのは「郷中(ごじゅう)教育」。江戸時代、近所の若者たちが自発的に集まり、文武に切磋琢磨。組織は縦割り、長才(おせ、妻帯した卒業者)、二才(にせ、高校生程度)、稚児(ちご、小・中学生)。リーダーは二才頭(にせがしら)。目的は、士風の維持、忠孝精神、有事に備える、国・家・地域を守る意識、主君に対する尊崇。カリスマ的な指導者を持たず、大人が介在しない、青少年の自治組織、地域教育。ボーイスカウトのモデルという説も。

精神的支柱は、加世田領主の島津日新斎が薩摩青少年等に普及させるために作った「日新公いろは歌」、武士の子弟のための「出水兵児修養掟」、大口の地頭新納忠元が二才頭へ出したと伝えられる「二才咄(にせばなし)格式条目」。妙円寺詣りは、関ヶ原合戦「敵中突破」のオマージュ、毎年10月の第3日曜、島津家の菩提寺の妙円寺へ鹿児島城下の子どもたちが21㎞を歩いて参拝する行事。NHK大河ドラマ『西郷どん』第一話の妙円寺詣りシーンは、加治木の精矛(くわしほこ)神社の境内で。郷中教育の終焉は西南戦争。その復活を試みた学舎教育は大人が介在、かろうじて過去の行事を継承しているが郷中教育とは似て非なるもの。かつてのように地元の若者がリーダーとなって後継者を育てていく地域教育の復活、関ヶ原400年後の西暦2000年を期に新生「青雲舎」を立ち上げた。

薩摩琵琶は、郷中教育の現場で育まれた。車座になって先輩が後輩に聞かせた。琵琶伝来の歴史、琵琶の種類、薩摩琵琶にまつわる逸話が紹介された。盲僧が読経の際に弾いた盲僧琵琶、それを改造してやや大きくした薩摩琵琶、作ったのは島津忠久(日新公)。子どもたちに伝えるため、「いろは歌」の主旨を盛り込んだ歌詞を作り作曲した。家元や宗家がない。今も、鹿児島では「芸能にあらず」を貫いている。島津義弘の「木崎原合戦」(1570年代前半)のさわりを演奏、途中「崩れ」(戦のシーン)、弓矢の飛び交う音、馬が駆け抜ける音、雄叫び等をバチが叩く、張りのある声、バチの音の抑揚、イメージが広がる。郷中の二才や稚児たちがさぞかし心を震わしたであろう。最後に、「君が代」の原曲が挿入された「蓬莱山」の演奏、濃密な時間が流れた。

 

2024年8月4日(日) 
大富潤 先生
(鹿児島大学水産学部教授)
テーマ「うんまか深海魚で鹿児島をもっと元気に!」

 

   

画面には、ニュージーランドの(ニセ)ミシマオコゼ、中国の(ニセ)ハマグリ、タイのバナメイエビ、ベトナムのバサ(ナマズの一種)。今のスーパーには、外国から来た魚が並ぶ。オリンピック状態ではなく、地域の運動会であるべき。世界の漁業者の数は決して減ってはいない、しかし日本は右肩下がり、「子どもにあとを継がせない」。漁業を取り巻く環境の変化への確信的対応能力が必須。漁業をやりがいのある職業にすれば、後継者はいなくならない。生業の場としての海を次世代に残そう。そのためには、斬新な仕掛け・取組が必要、深海魚を目玉に鹿児島の海の幸の認知度を上げ、水産業を活性化させたい。鹿児島県の海は南北600キロ、錦江湾は、日本で唯一水深200メートル以上の深海を有する内湾、そこから外洋、黒潮が流れる島しょ域(海底はでこぼこ)。「ナミクダヒゲエビ」を専門に獲る業者(とんとこ漁、伝統漁法)がいるのは世界中で錦江湾だけ。一緒に獲れる「ヒメアマエビ」は面倒な頭を取り除く作業のためかつては二束三文、しかし20年かけた普及活動で魅力あるおいしいエビに。「とんとこ漁、雑魚の山にも宝あり」、「ヒメアマエビ」に続くサクセスストーリーを!消費者の目に触れない海の上で生じている「もったいない」を無くしよう、キーワードは「次世代のために」。

水産学部の附属練習船「南星丸」(175t)で試験底引網調査、沢山獲れる「キュウシュウヒゲ」は素揚げや竜田揚げにすると美味い、食べないから海に戻している。手のひらぐらいの「マルヒウチダイ」も美味しい魚。あまり獲れない「ボウズコンニャク」は「ノドグロ」をしのぐ美味しさ。鹿児島県の海では雑多な深海魚が網に入る。未利用な深海魚をどう売るか?カギを握るのは消費者。「おいしい深海魚はグロテスクではない」から始めなければならない。2020年8月、産学官による「かごしま深海魚研究会」を立ち上げた。すでに食べられている魚に加え、未利用な魚も流通させる。多くの店が研究会のメンバーとなりメニューや商品を提供。「うんまか深海魚」の統一ブランドで展開、水産業・外食産業・観光業をリンク、地域全体での取組、SDGsの取組。みんなが知らないところで起きている「もったいない」をなくし、漁業者のモチベーションアップにつなげ、後継者を絶やさない、これが目的と結ばれた。

 

2024年8月4日(日) 
大木公彦 先生
(鹿児島大学名誉教授)
テーマ「鹿児島の摩崖仏と石の文化」

 

   

砕流を出した後期更新世(60万年前以降)のカルデラは、北海道・青森に4つ、九州に5つ(4つは南九州に、加久藤・姶良・阿多・鬼界)。熊本は阿蘇カルデラを宣伝「火の国」、鹿児島は4つもあるから「炎の国」。南九州は火山のおかげで文化が育まれた。姶良・阿多・鬼界は、大火砕流のあと、空っぽになったマグマだまりに海が入ったもの。船でカルデラを巡る貴重な場所。シラス台地(火砕流堆積物)は平ら、裾野に広がる。シラスの温度は700~800度くらい、熱がこもる習性、数年かけて硬い岩石(溶結凝灰岩)に変わる。特色は、熱を伝えにくい・比較的硬い・加工しやすい。石の文化が生まれた。志布志の夏井海岸は入戸(いど)火砕流の溶結部、昭和の初めまで有名な石切り場(古墳時代から)。鹿児島の4つのカルデラが繰り返し噴火、火砕流は38以上。摩崖仏の彫られた火砕流堆積物は、鍋倉火砕流(姶良カルデラ、約70万年前噴出)、吉野火砕流(姶良カルデラ、約50万年前)、加久藤火砕流(約33万年前)、阿多火砕流(約11万年前)、入戸火砕流(姶良カルデラ、約3万年前)。有名な摩崖仏に、鎌倉~室町時代の姶良市天福寺跡の摩崖仏(鍋倉火砕流)、鹿児島市の梅ヶ淵観音は江戸時代(加久藤火砕流)、谷山清泉寺の摩崖仏は1251年(阿多火砕流)、入戸火砕流は平安時代後期以降の川辺清水の摩崖仏、江戸時代中期の高田の摩崖仏、1335年霧島市赤水の岩堂摩崖仏。

墓石の石材として使用された溶結凝灰岩、一番古いのは南薩層群中の凝灰岩(約120万年前)の今和泉家墓石、隼人塚は岩戸火砕流(約6万年前)、入戸火砕流(約3万年前)の神領古墳石棺、加治木日木山宝塔は鍋倉火砕流(二瀬戸石)、そして島津家の墓石、花尾神社の丹後の局の墓石は阿多火砕流の黒色凝灰岩(花尾石)、宮之城島津家の墓石は7代以降阿多火砕流、宗家は7万年前の福元火砕岩類の山川石(最高級品、日本地質学会で発表予定)、福昌寺型宝篋印等の大型化・装飾化。石材として使用された火砕流堆積物には、石工さんたちが石材名をつけた。加治木の城下町には二瀬戸石(70万年前の鍋倉火砕流)、重富の白金酒造の酒蔵、鹿児島中央公民館にも。鹿児島城の城壁は溶結凝灰岩(吉野火砕流の「たんたど石」)、仙巌園の崖(「千尋巌」の文字)・反射炉の基礎、上町の重富島津家の石垣等に。五大石橋は武之橋に、他は加久藤火砕流。鹿児島では百以上の外城が石工を抱えていたようだ。小樽の石倉は札幌軟石(溶結凝灰岩)、勧めたのは黒田清隆。鹿児島は溶結凝灰岩の彩る石の文化、もう一度見直すべき。何気なく見過ごしている風景、そこには永年積み重ねられた歴史が。