4月講座レポート

2023年4月22日(土) 
原口泉(はらぐちいずみ)先生
(志學館大学教授・鹿児島大学名誉教授)
テーマ「近世鹿児島城等をめぐる諸問題~国指定史跡のために」

 

    本講座は毎年、原口泉先生が皮切り。昨年の講座レポートは「アクリル板越しに、颯爽とした姿、歯切れのいい元気な声」で始まる。今年は「昨年にも増して元気で大きな声、滑舌も見事、話題も多岐にわたり、終始圧倒された。」

国指定の史跡「城山」が、鹿児島城(鶴丸城)を追加し「史跡鹿児島城」に名称変更して登録。石垣の修復と御楼門の復元に伴った近年の発掘成果が評価された。NHKの「翔ぶが如く」(1990)で、ベニヤ板製の御楼門から斉彬公が出ていくシーンが放映。県民の声を受け、2020年に復元。1883年建築の旧興業館(旧考古資料館)の保存活用委員会の委員長を務め、基本計画を策定した。耐震強化のため莫大な費用、そこまでの必然性があるのか考えた。1993年8.6水害を機に、県文化財指定の西田橋を指定解除し移設。委員の一人として現地保存を主張。理由はスプロール化現象。結局、適切な移設保存に。しかし、西田橋は鶴丸城の入り口、あそこに残していたら、損失価値はざっくり1千億円。文化財は経年価値が上がる。人間もそうありたい。学ばないから年を取る。今、同じことがドルフィンポートの跡で。鹿児島マラソンに多くの人がたくさんのお金を落とすのは、磯街道を含めたドルフィンポート、鹿児島本港区、あの桜島と錦江湾が見える景色があるから。計り知れない価値がある。旧興業館近くの県有地に中小企業会館建設予定。列品館(ブランドショップ)の再現を提案した。かつての旧興業館は、鹿児島県の発展を約束する夢の建物、精神的遺産。

 「鹿児島城(鶴丸城)」と括弧付きで併記。「鶴丸城」は県民の誇る名称、しかし県内だけで通じる名称。城山は植生が貴重。養老孟司氏が城山のホテルに宿泊した折、照葉樹林で昆虫探しに興じた逸話を紹介。鹿児島城は、山城とのちに麓を整備してできたお屋形からなる城。本丸は城山、そこが天然の照葉樹林帯。安土桃山時代以前の城作りを伝える鹿児島城には、南蛮文化の片鱗、琉球・中国・東南アジア・西欧の様々な世代の陶磁器出土等々、他に先駆けて最新の技術と文化を導入した証が鹿児島城。そして西南戦争最後の激戦地、「薩摩の兵どもが夢の跡」の感も起こさせる史跡。

熊本藩主細川光尚が家老に宛てた手紙には薩摩への軍略が。松井家文書には薩摩への探索、その中に鹿児島城の石垣や御楼門の記述も。薩摩藩はシーレーンが長い。幕府に干渉させず、琉球王国と一体となって独立した体制で公然と西国の警備を強化。薩摩藩の研究は他所を見ないと駄目。他地域から我々を見なければ、薩摩原理主義に陥る。薩摩藩はグローバルな経営戦略を持っていた。未来のための過去、過去から学ぶための鹿児島城、国指定となった評価の締めにと結ばれた。