4月講座レポート

2021年4月24日(土) 
原口泉(はらぐちいずみ)先生
(志學館大学教授・鹿児島大学名誉教授)  
テーマ「日本財界の両雄、五代友厚と渋沢栄一」

 

 

飛沫防止アクリル板を前に、早口ながら歯切れのいい声が響いた。焼酎の話、ゼミの話を枕に、サンフランシスコやロサンゼルス講演での逸話、林真理子、尾高忠明(渋沢栄一のひ孫、大河ドラマ「晴天を衝け」テーマ音楽を指揮)、田中光敏(映画「天外者〈てんがらもん〉の監督)、そして西郷や大久保、岩倉具視、大隈重信、黒田清隆、さらに五代を取り巻く女性たち、歴史ドラマ時代考証の裏話も飛び出し、いつしか原口泉ワールドに引き込まれた。時代を行きつ戻りつしながら、話題は多方向に拡散していった。

 島津斉彬門下で、五代は別格。家格も高く、後に企業家・実業家として活躍。明治以降の功績は枚挙に暇がない。斉彬が友厚の父に命じた世界地図模写を、14歳の彼が行ったというのは誤伝、当時友厚は4歳、実際は兄の徳夫(友健)とのこと。五代は海外マーケティングのパイオニアでもある。理財家としての片鱗は26歳時、長崎の豪商への7500両貸し付け証文からも。大阪の商工業の発展に大きく貢献し、東の渋沢(東京に商法会議所)、西の五代(大阪に商法会議所)と言われた。渋沢は社会公共・教育事業を支援し「道徳経済合一主義」を唱えたが、企業家五代も国益を優先させるナショナリストであった。

 鹿児島では、武断派から「才気走ったキザ野郎」と嫌われたが、大久保政権の富国強兵、殖産興業政策を支えたのは五代であり、実業家広岡浅子(連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインのモデル)は、渋沢から「社会のために生きる心」を、五代からは「常に志を高く持ち、驕らない姿勢」を学んだのではとのこと。

 五代と黒田清隆が共謀したとされる北海道開拓使官有物払い下げ事件は冤罪であり、併せて西郷・板垣と大久保・岩倉との対立も取り上げながら、五代も西郷も、後輩を貶めることをせず、あえて弁解をせず、何も言わないまま死んだ。そこに「生きる覚悟」を見るとのこと。藩校「造士館」で、『論語』や外国語を通して、その精神、「人の道」を学んでいる。「島津義弘を大河ドラマに」の夢をあきらめていないと結ばれた。