12月講座レポート

2023年12月9日(土) 
福山満(ふくやまみつる)先生
(県文化財保護指導委員・鹿児島市教育委員会社会教育指導員)
テーマ「鹿児島市内の文化財から」

 

    平成27年、文化財課へ問い合わせ「竜ヶ水バス停と竜ヶ水大崎バス停の間に明治天皇行幸に関連する石碑があったが、最近見当たらない。今どこに在るのか」。平田信芳著『石の鹿児島』に「新道之碑」の挿絵、付記に「平成2年暮までの約2年間、車に当て逃げされ、がけ下に転落していた。若干傷がついているが、原位置に戻っている」と。現地調査、発見できない。国道事務所から、海中から引き揚げた石碑の保管場所の連絡。その後「竜ヶ水大崎バス停近くの国道10号線の路側帯(山手側)に道路工事業者の善意により設置された」と連絡。石碑の表面にフジツボが付着、文字は見えない。明治5年、明治天皇の鹿児島行幸。『鹿児島百年』に「鹿児島にも行幸道路第一号が作られた。田之浦から磯天神をへて磯公園に至る旧道がそれ」と記述。『鹿児島市史 金石文』に「新道之碑」と題して「壬申秋、皇上鹿児島県ニ御巡幸アリ、磯ノ製鉄紡績等ノ機器局ヘモ天覧アルベキヲ以テ、大山県令預メ有司ニ命シテ田之浦ヨリ磯ニ至マデ、海ニ沿ヒ石ヲ累ミ、新道ヲ開キテ御巡幸一時ノ便トナス」、続いて「遂ニ磯ヨリ重富マデ、新道ヲ開クコト、凡二里二拾四町二十間」と。廃藩置県後、鹿児島県が実施した土木工事の第一号。

 鹿児島の「六月燈」の由来は、上山寺、新照院観音堂の観音座像。『三国名勝図会』に「新照院観音堂、西田村の内新照院といへる地にあり、観音座像、十一面観音立像の二體を安置す、東北側に上山寺あり、これを守る」、「此上山寺観音に數多の燈を點じ給ひ、諸人も寄進し、参詣多かりし」と記述。神社仏閣で毎年6月の定まった縁日に多くの燈籠を灯す「六月燈」は、19代光久公のときから始まったとも。『盛香集』(江戸時代後期の歴史書)に「六月燈とて諸人神仏に参詣する事は鹿児島上山寺観音より事起れり」と記述。その観音堂や上山寺は新照院町公民館付近、「六月燈発祥の地」の標柱。高さ90センチの聖観音座像は尾上家にある。経緯について家系図を辿りながら説明。さらに大田家にある上山寺の仁王像と六地蔵塔を家系図とともに紹介。家系図には歴史上の人物も。最後に「NHKファミリーヒストリー」で、加山雄三のルーツ探しに携わった様子を紹介された。

 日頃気に留めず、何気なく通り過ぎる風景、そこに息づいている確かな歴史に改めて気づかされた。