2026年1月24日(土)
江 山(ジャン シャン) 先生
(鹿児島大学法文学部附属「鹿児島の近現代」教育研究センター特認専門員)
テーマ「日中両国における戦争記憶の継承とその課題―未来への架け橋を目指して―」

中国重慶出身。2015年、鹿児島大学出身の日本語教師の紹介で鹿児島大学大学院へ。単位取得後に特認助教、現在、特認専門員。妻は鹿児島の女性。修士論文は重慶爆撃について。博士論文は日本を研究、鹿児島空襲や特攻の記録・継承をまとめた。相手のことを知らないと研究としての深みが出ない、本当の日中関係改善にはつながらない。戦争の記憶は自動的に保存されるのではない。同じ戦争でも、記憶の内容や意味づけは異なる。その違いは現在の社会制度の中にも反映されている。本講座では、日中両国における具体的な事例を通して、戦争記憶がどのように形成され、どのように継承されてきたかを考える。
重慶を紹介。4直轄地(北京・上海・天津・重慶)の一つ、面積は北海道とほぼ同じ、人口は3200万超、世界一。昔から工業都市。重慶爆撃(1938.2~1944.12)の記憶とその継承。重慶は国民政府の戦時首都、爆撃は軍事施設のほか市街地・商業地区・住宅密集地にも、民間人被害拡大。「1939(五・三、五・四大空襲)」「1941.6.5「大トンネル事件(防空壕で多数の死傷者)」、国家・地方政府主導による記憶の制度化、現在も防空壕の保存・公開、記念施設・追悼行事を通して都市の歴史として記憶を継承。重慶爆撃訴訟は日本政府の賠償責任否定、原告敗訴。重慶爆撃の事実を日本社会で可視化された。
鹿児島空襲は、戦後20年以上過ぎて記録の掘り起こし。南日本新聞社や市民団体が中心に文字資料として。鹿児島には、「戦災復復興記念碑」が中央駅近くの甲突川沿いに、「太平洋戦争民間犠牲者慰霊碑」がドルフィンポート近くに。「鹿児島女子興業学校(鹿児島女子高校の前身)の碑」が共研公園に、空襲で寮生13人が犠牲に、毎年の慰霊祭は学校行事に。公的な継承活動として「第二次世界大戦戦亡者慰霊祭」等、一般市民の参加も。万世特攻平和祈念館について、地域社会がどのように記憶を継承してきたのか。70年代に元特攻隊員が記憶の掘り起こし。戦友の慰霊・彼らが存在した事実を残すことを目的に、72年に慰霊碑「よろづよ」完成。93年に平和祈念館完成。行政移管後、教育・観光・地域振興へと、記憶の意味が変化。戦争の記憶をどのように受け取り、どのように語り継ぐかは、私たち一人一人に委ねられた課題である。

