2024年5月18日(土)
古木圭介 先生
(地方創生&ツーリズム・コンサルタント)
テーマ「人生80年を振り返って~~~仕事とライフワーク」
昭和18年生まれ、今日の話は、育った環境と自分を支えたライフワークについて。海外旅行中心の会社「グローバルユースビューロー」をベースに、色々な所に出向(頼まれ仕事)、様々な職歴と役職を経験。流暢な語り口、見事な滑舌、体験に裏打ちされた様々な事例。
「終戦後の貧困期」「経済発展~高度成長」「デフレ経済のトンネル」、時代の流れと自らの生き方を重ねる。満州から、母親と3人の子どもたちと引き上げ、『流れる星は生きている』(藤原てい著、新田次郎の妻、藤原正彦の母)とそっくりの体験をした。霧島の母親の実家で疎開生活。祖父や父親のたくましい生き方を紹介。昭38、39年につくったユースホステルがグローバルユースビューローの元。昭41年に兄が会社を起こし、チャーター便をヨーロッパに飛ばした。これが戦後の原点。「私の半世紀を支えたのは山と旅」、死なない訓練を受けた。中学で山岳部、高校時代は兄と二人で北アルプスに。昭41年秋、ヒマラヤトレッキング。その後、何回かヒマラヤへ。仕事に忙殺されている折、55歳で『七つの最高峰』(ディックバス他著)に刺激を受け、リフレッシュの必要性を自覚。74歳、12月に北八ヶ岳山群の天狗岳。75歳で西穂高。77歳、10月に槍ヶ岳。昨年80歳、何かしたい、山に登りたい、槍ヶ岳に。山小屋に泊まりながらゆっくり、10月初め、初雪、同宿者4人。60代夫婦を案内して登頂。12月25日、韓国岳に雪中登山。コロナの期間は霧島山麓でキャンプ生活。私の健康法は、疲れたら山、ストレスをためない、最高の病院は山。森林浴の効用、フィトンチッドがポイント。
バブルの頃、知覧カントリークラブ常務取締役、キャディーに一人一台軽自動車、若い人が集まった。サンロイヤルホテルの立て直し、太陽国体以後20年間赤字続き、第3セクターの甘さ、企業再建は社員教育が第一、体質改善が奏功。テレビのニュースキャスターでは色々な人との出会い。平21~25年、肥薩おれんじ鉄道へ、地方創生の勉強の場所。起爆剤として観光列車の導入、部下たちの動きが実績を出した。JR九州では、若い人と一緒に海外の人々を呼び込む仕事、並行して鹿児島屋台村で理事長、25店舗、売り上げが毎年伸び続けた、旅行客に大人気。旅行のポインは風光明媚のほか、お祭りを見せるのも一つ、人との触れ合いがリピーターを、鹿児島に住んでいる人が観光資源。富裕層マーケットの掌握も、そこに一般の人々も集まる。「ななつ星」は、その典型。旅行産業は世界の成長産業。日本の人気は高い、そこへ鹿児島県がどう食い込むのか。最後にお父上の言葉「細心にして大胆であれ」。加えて、謙虚であれ、地位ではなく自分の行動で示すと結ばれた。