2024年12月14日(土)
小林善仁 先生(鹿児島大学法文学部准教授)
テーマ「鹿児島大学の成り立ちと二つの統合問題」
鹿児島大学がどうやってできたのか?学生を含めて誰も考えない。長野県出身の私の素朴な疑問は①なぜ法文学部が郡元キャンパスにあるのか?②なぜ鹿児島県立短期大学しかないのか?③なぜ鹿児島中央駅西口に県工業試験場跡地があるのか?すぐ近くの工学部前交差点の電柱には「医大前分」のプレート、電柱には昔の名前が残っている。古書店で見つけた昭和23年発行の鹿児島市街地図、大学発足直前の学校の場所が分かる。本講座の目的は、鹿児島大学の成立過程を大学史や市街地図などから明らかにし、二つの統合問題(①大学の統合②キャンパスの統合)を戦後の鹿児島市街地の地理的変化(都市計画・土地所有など)の点から考えること。
鹿児島大学は昭和24年5月開学。9割が焼失した鹿児島市街地、その復興と大学とセットで考える。戦中・終戦直後の官立5高専の被災状況と終戦直後の校地を紹介、新制大学は前身となる官立学校の校地が前提。初期の学部は文理学部・教育学部・農学部・水産学部・一般教養部。現在と同じ場所は農学部と水産学部のみ。文理学部と一般教養部は山下町、教育学部は鹿児島郡伊敷村に分散立地。「国立鹿児島総合大学基本構想」は、国の設置方針(1県1大学、教職及び教養に関する学部の設置など)決定により廃案。官立5高専の統合から外れた県立医科大学及び医学専門学校と県立工業専門学校を母体に昭和24年2月県立鹿児島大学創立、混乱を避けるため鹿児島県立大学に改称。医学部が鴨池町、工学部が伊敷村に所在。昭和30年7月、医学部と工学部を鹿児島大学に移管。移管に伴う整備要項策定。県立大学は短期大学部(昭和25年開学、前身は県立第一高等女学校専攻科)のみ、昭和33年4月に鹿児島県立短期大学へ校名変更。鴨池町の医学部は、附属病院の関係もあり、一般教養部跡(山下町)へ移転、昭和49年9月桜ヶ丘キャンパスへ再移転。工学部は統合用地一画へ移転(西部)。工学部前交差点に立つ電柱の「医大前分」は、医学部(旧医科大学)の名残。
二つの統合(大学の統合、キャンパスの統合)を経て、鹿児島大学の初期のかたちが成立。統合完了時点で「郡元キャンパス」の名称は存在しない、『鹿児島大学三十年史』には、郡元・下荒田・宇宿の三地区。