2024年4月20日(土)
原口泉 先生
(志學館大学教授・鹿児島大学名誉教授)
テーマ「東京・東北を開発した高木秀明~日誌を読み解く~」
目的は高木秀明(たかぎひであきら)の日誌を読むこと。ここに書いてあることは初めてのことばかり。所有者の高木かおる氏(秀明は高祖父)から、昨年暮れ持ち込まれた。解読した手書きのコピー配布、行と頁まで現物と同じ。明治5年から7年まで東京の土地測量、地租改正に携った。その後、山形県の三島通庸県令の下で土木課長を務め、米沢と福島を結ぶ「萬世大路」「栗子山隧道」を完成させた。鹿児島では誰も知らない。
1831年、上荒田出身。電車通りを挟んで、4年後輩の松方正義の生家。産土神は荒田八幡。西郷や大久保以外に、こういう人がいたことを知ることは若者に勇気を与える。歴史の人材輩出には波があり、ある特定地域に群生する。明治の地租改正は、松方と高木のコンビによる。戊辰戦争は西郷と大久保のコンビ、3歳違い。強力なコンビには、郷中教育で培われた先輩・後輩の堅い絆、「地縁に基づく同志的な紐帯」がある。地縁がsocial capital、薩摩の人的つながりの基本、今こそ必要ではないか。人材は今でも輩出、子どもたちが夢を見るような教育が必要。斉彬学校には1820年代生まれの西郷隆盛と重野安繹、勝海舟も。1830年初め生まれには、大久保利通、高木秀明、寺島宗則、川路利良、鹿児島では嫌われている人、注目されていない人。私は西郷を尊敬している。しかし西郷だけを崇め、色んな人材に目を向けて多様な見方をすることがなければ、イデオロギー・カルト宗教の類。人それぞれの違いを認めなければ道を摘んでしまう。そして「花の天保6年組」、開成所出身、彼らが16,7歳の時に反射炉が稼働し、造船やガラス工場を目の当たりにした。薩摩は東洋のマンチェスター、リバプール。夢を見たはず。天璋院篤姫、小松帯刀、三島通庸、松方正義、五代友厚、同じ1835年生まれ。二回組閣した松方を支えた財務官が田尻稲次郎、上之園出身、専修大学を作った。日清・日露の国家財政を整備したのは松方と田尻のコンビ。1850年組は、戊辰戦争を直接体験していない戦後派、田尻のほか、前田正名、山本権兵衛。この日誌には、明治の重要人物がすべて出ており、様々なことが読み取れる。
「明治五年申三月二日於鹿児島縣仕掛之御用相済次第上京可致旨被命~」に始まる日誌を読み上げながら、時代を行きつ戻りつし、人物や場所等にまつわる様々なエピソードを紹介された。日誌の内容は全部、日本史に関係のあること、これを誰も全く見ていなかった。新生東京全域を測量して地図を作ったのは高木秀明ということを、今日は伝えたかった。